まいっか子育て日記

発達凸凹長男とおてんば長女のまぁいっか~な育児の記録。うつ状態から抜け出した母(私)が書いています。

親の言葉通りに子は育つ!これ、本当。

お子さんに、よくかけている言葉は

どんな言葉ですか?(*・∀・*)



早くして!遅いよ!

何やってるの!ダメでしょ!

また危ないことして…何回言ったらわかるの!



???



最近、気が付いたこと。

そして、いろいろなところで目にし、
耳にすること。

それは、

子どもは親の言葉通りに育つ。

言葉にしたことは、現実になる。


(このような記事を拝読しました↓)

https://ameblo.jp/inthetic/entry-12532086957.html




いつも怒られている子は、

また、怒られるようなことをするし、


いつも心配されている子は、

また、心配されるようなことをする。



あなたは落ち着きかないんだから!

って言っていたら、



本当に、いつまでも、

落ち着きのない子になる。



あなたは乱暴だね!

って叱ったら、


また、この次も、

乱暴なことをする。





親に注意されることが習慣になっていると、

たまたま注意されなかった場合に

なんだか物足りないというか、

自分らしくない感じがして、

おちゃらけてみたり、ふざけてみたりする。


注意されるのって

あまり嬉しくないんだけど、

本当に、そう思ってしまうのは

不思議な感覚です。


ですが実際に、

私はその感覚を覚えています。

注意されるのが「私」だし、

口うるさく注意するのが「母」なのだと、


言い換えると、

「私」とは、「注意される人」であり、

「私の母」とは、「口うるさく注意する人」

と、

勝手に定義されてしまっている感じ。



だから、たまたま母が誉めてくれると

むず痒かったり、居心地悪かったり、


何も言われないと 物足りなかったり、

したのだと思います。




これは、褒めるときにも同様で。


例えば

母が外出中で私が留守番していたとき、

食器洗いを手伝ってみました。

帰ってきた母、喜んで褒めてくれました。

が、

「ありがとう!(母が)居ないときだけは手伝ってくれるんだよね~(*・∀・*)」


それ以来、私は本当に、

母が外出中の時しか家事手伝いをしませんでした。




例えば、

私はよく、外では姉と比べられ

「ハレコトリちゃんは大人しくて可愛いね」

と、言われていました。


それ以来、私は「可愛い」と言われると

急に大人しくなってしまい、

自分を主張できなくなりました。

ただ笑っているだけのお人形みたいに。


現在も「可愛い」と言われない環境の方が、

自分らしくリラックスして自由に居られる

と、

実感しています。
   サイキンハ、リラックスシテルカナ…ネンレイノセイ??(*´艸`)




このように、

褒め言葉と「ある条件」をセットで言われた場合、


母がいないときだけ食器洗いを手伝ってえらい

→母がいるときには何も手伝いをしない

→母がいるときに褒められることをするのは、「私」じゃない

とか、


大人しいから、可愛い

→可愛くいるためには、大人しくしていないといけない

→受け入れられ認められるのは、自分を主張せずただ笑って過ごす私

とか。


不思議ですけど、おかしいですけど、

◯◯(褒められること)なのは
△△(ある条件)のときだけ。それが「私」。

という解釈が刷り込まれてしまいます。



おやつあるときだけは頑張るよね~
→おやつがない時は頑張らないのが私

とか、

外面は良いんですよ~家では乱暴で~
→家では乱暴なのが私

とか、

一等賞になれてすごいね~
→認められ褒められるのは、一等賞をとれたときだけ

とか、おかしな方向に。


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自我が形成される幼少期に、

絶対的存在である親からかけられた言葉は、

無意識のうちに
その子の潜在意識に刷り込まれて、

「その子」を作り上げていくようです。

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私の感覚ですまねけんど、 ←キュウナ ナマリ

人って、(育ち方によるのでしょうか)

周りの人の期待する姿になろうとする

ところがあると、思います。

期待とは、良い意味でも悪い意味でも。


周りの人からのイメージを破ることには

とてつもない労力が要るんだと思います。

周りの人を、びっくりさせたくないんです。


びっくりする=「あなたらしくない」と思われる
→自分を受け入れてもらえないのではないかと、怖くなる

という、他者の目を気にするものだったり、



幼少期、一番身近な存在である親からの

「あなたはこういう人」という言葉を

まるごと受け入れて育ったために、

「こういう人」から外れる自分に感じる

ものすごい違和感に、

自分が耐えなれなかったり、

なんだと思います。




「大人しい」と思われている人は、

大人しく振る舞ったり、


「おっちょこちょい」と思われている人は、

また、ちょっとしたミスをしたり。


それはもちろん、

イメージを覆そう!!

と意気込んで頑張ることはあります。

でも、潜在意識の中で、

またミスをするんじゃないか…

だって私はおっちょこちょいだから…

と自分を定義してしまい、

無意識のうちに、おっちょこちょいな行動を
とってしまうという。




「言葉」には、そんな魔力があるんです。

言葉によって人生が救われる場合があれば、

言葉に追い詰められてしまう場合がある。




自由な未来があるはずの子どもたちには、

心から自信を持って自分の道を歩むための

糧となる言葉を届けたい

と、私は思います。




そのためには、どうすれば良いか。




私が現時点で考える、簡単なポイントは、
これです。

余計なひと言を言わない!    コレカー(^_^)


これは、褒めるときにも、叱るときにも。

余計なひと言って、何でしょう??(*^.^*)




長くなってしまったので、
続きは次の記事にしたいと思います。

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久々の投稿。
生活環境が変わり、自由な時間が取りにくかったのですが、

急に思い立って、書き連ねてしまいました。

お読みくださりありがとうございます(*^^*)